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小説/野崎まど <あらすじ・感想・考察> 読むだけじゃ駄目なのか?読むだけでいいのか?

読書感想です。今回は野崎まどさんの「小説」です。

記事前半はネタバレは含みません。「続きを読む」を押さない限りネタバレ内容は見えませんので未読の方も安心してお読みください。

作品情報

  • 作品名:小説
  • 作者 :野崎まど
  • 出版社:講談社(講談社文庫)
  • 頁数 :224P

こんな人におすすめ

 
こよい
  • 小説が好き
  • 衝撃を受けるような物語が読みたい
  • 「書くこと」「読むこと」に興味がある

特徴グラフ

※私個人の見方・感想です。

話の明るさ
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読み応え
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過激表現
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あらすじ

『五歳で読んだ『走れメロス』をきっかけに、内海集司の人生は小説にささげられることになった。一二歳になると、内海集司は小説の魅力を共有できる生涯の友・外崎真と出会い、二人は小説家が住んでいるというモジャ屋敷に潜り込む。そこでは好きなだけ本を読んでいても怒られることはなく、小説家・髭先生は二人の小説世界をさらに豊かにしていく。しかし、その屋敷にはある秘密があった。

読むだけじゃ駄目なのか。
それでも小説を読む。
小説を読む。
読む。
宇宙のすべてが小説に集まる。

引用元:講談社BOOK倶楽部

感想

小説の本質を問う

ある少年が小説への向き合い方を追い求める姿が描かれます。

物語が進むにつれて、登場人物たちの成長や彼らが直面する謎が巧妙に絡み合い、物語自体が小説という枠組みを超えて進化していきます。

そのタイトルが示す通り、「小説とは何か」という根源的な問いに挑んだ作品です。

小説に向き合う2人の男

物語は、幼少期に『走れメロス』を読んだことをきっかけに、小説の世界に魅了された内海集司の人生を描いています。

彼は12歳で同じく小説好きの友人・外崎真と出会い、小説家が住むという「モジャ屋敷」に足を踏み入れます。

そこでは、髭先生と呼ばれる小説家のもと、自由に本を読むことが許され、二人の小説への情熱はさらに深まっていきます。

しかし、その屋敷にはある秘密が隠されており、物語は予想外の展開を見せます。

「小説」ならではの体験

ボリュームはそれほど多くなく標準的なボリュームです。軽妙な語り口とリズミカルな文章で進むため、とても読みやすいです(ほんのりライトノベルっぽさも感じます)。

ただし、物語の進行につれて、「小説とは何か?」を問う哲学的な話や、それに繋がるやや難解な内容が出てきたりするので、読んでいて引っかかる部分もあるかもしれません。

しかし、それも含めて「小説とは何か?」を体験する作品です。

むしろその複雑さを楽しむことが醍醐味でもあります。それらが大きな意味を持つ仕掛けが待っています。

小説を「読むこと」「書くこと」

本作は、小説を「読むこと」と「書くこと」の意味を深く掘り下げています。

内海と外崎の関係性や、髭先生との交流を通じて、小説が人々に与える影響や、その存在意義が問いかけられます。

特に、読むことの喜びや苦悩、そして小説が持つ力についての描写は、読者自身の読書体験を振り返らせるものがあります。

また、物語の後半では、予想を裏切る展開やどんでん返しが待ち受けており、読者を飽きさせません。

 

以下、内容に触れた感想を記載しますので、開く際はその点ご了承ください。

ここで一呼吸…
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感想(ネタバレ有り)

続きを読む ※ネタバレ注意

読むだけでもいい…

小説に限らず、音楽や絵画など同じようなジレンマが存在するものは多くありそうですが、小説として小説について問うことが小説ならではであり、この作品の凄みかと思います。

宇宙の大きな流れの中で様々なものが集まって意味を増やしていったことと同様に、人間は小説を読むことで、現実という境界を越えて、多くの意味を受け取り内側に増やすことができる。

言っていることは理解できます。読書好きとしてはそれは間違いないとも言いたいです。

小説には多くの世界が、意味が広がっていて、自分の世界をも広げてくれるように感じさせてくれます。

自分の内側が増えていくというのは読書家さんなら実感としてあると思います。

それが自然の摂理とも考えられるとすれば、「小説を読むこと」を好きでいることを肯定されているようにも思えます。

読むだけでもいいのか?

ただ、一方で、この物語からはそれはあくまで自分の内側を満たすものでしかないということも突きつけられているのかもしれません。

内海の現実は何も変わっていないことがそれを示しているように私は感じました。

小説を「読む」内海と「書く」外崎ではその点で大きな隔たりがあります。

それでもなお、小説は「読むだけでもいいのか」。

内海の答えは示されていますが、それは絶対的な答えとして提示されているのではなく、読者自身はどう思うかと問いかけられているように思います。

私としては、小説を読んで内側に得た意味が、外側へ新たに意味を発すること、端的に言えば何らかの形で現実へ影響を与えること、に繋がることが望ましいように思ってしまいます。

フィクションだと明示した意味

最初に「この作品はフィクションである」と明言されるのは、単なる免責事項ではなく、『小説』という作品のテーマに深く関わっているからでしょうか。

この物語は、小説の中の登場人物が「小説とは何か?」を探求し、最終的に現実とフィクションの境界が曖昧になっていく話でもあります。

だからこそ、最初に「これはフィクションだ」と明示することで、読者に「本当にそうだろうか?」と疑問を抱かせる仕掛けになっているように思います。

また、物語が進むにつれて「時間が循環する」「小説の中で何が本当で何が嘘かわからなくなる」といったメタ的な要素が強まるからこそ、最初の宣言が逆に意味を持ってきます。

最後まで読んだ後に、「じゃあフィクションとは何なのか?」と考えさせられるのが、この作品の面白いところだと思いました。

簡単に整理・考察してみる
序盤では、内海と外崎が「モジャ屋敷」に入り浸り、髭先生のもとで小説の魅力に触れていきます。

物語が進むにつれて、小説の時間や構造そのものに疑問を抱かせるような展開になり、髭先生の正体は成長した外崎真だったことがわかります。

この物語の構造そのものが「小説というものの本質」を体現しているのがすごいです。

外崎は小説を「書く側」の人間になり、内海は「読む側」の人間になりました。

内海の視点は描かれたとおりですが、外崎自身も小説を書くことで「小説とは何か?」を追い求めていたように思えます。

彼は時間を超えて内海に物語を届けることで、小説が持つ現実を超えた不思議な力を証明しようとしていたのかもしれません。

ニアムは新井編でした。外崎を手中に収めたいのに、内海の存在が外崎をそうさせないため、内海のことを嫌っていました。

また、「小説を読むだけの存在」である彼に対する違和感や拒絶感だったのかもしれません。逆に、外崎は「小説を書く側」の人間になったからこそ、彼女にとって求めるべき存在だったと考えると納得がいきます。

この構図で考えると、少女は「創作に関わる人間」を求めていたとも言えます。彼女が内海ではなく外崎を選んだのは、彼が「物語を生み出す側」にいたからこそで、彼女自身もまた「小説の中の存在」だからこそ、書き手である外崎と繋がっていたのかもしれません。

彼女は単なる登場人物ではなく、「小説を書くことと、小説の世界そのものの象徴」のようにも見えます。

内海と外崎の対比を強調するために配置されたキャラクターでもあり、物語の中で「書くことの重要性」を示す存在のようにも思えます。そう思うと、また「読むだけでもいいのか」という問いについて考えさせられます。

他の読者の感想

こちらをご覧ください。
※ネタバレ感想も含まれますので見る際はご注意ください。

読書メーター/小説

まとめ

以上、野崎まどさんの「小説」の読書感想でした。

全体として、『小説』は小説という媒体の魅力と、その本質を再認識させてくれる作品です。小説を読むことの意味や価値を改めて考えさせられるとともに、小説が持つ力を感じることができました。

未読の方は是非手に取ってみてください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。