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キャッチャー・イン・ザ・ライ/J.D.サリンジャー -感想- アメリカで禁書とされる?刺激的な青春文学。

読書感想です。今回はJ.D.サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(村上春樹訳)です。
記事前半はネタバレは含みません。「続きを読む」を押さない限りネタバレ内容は見えませんので未読の方も安心してお読みください。

作品情報

  • 作品名:キャッチャー・イン・ザ・ライ
  • 作者 :J.D.サリンジャー(村上春樹訳)
  • 出版社:白水社
  • 頁数 :362P

こんな人におすすめ

 
こよい
  • 世界中で読み継がれている名作を読みたい
  • 青春小説を読みたい
  • ものすごく刺さるかもしれない若者の価値観に触れてみたい
 

特徴グラフ

※私個人の見方・感想です。

話の明るさ
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読み応え
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過激表現
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あらすじ

『J.D.サリンジャーの不朽の青春文学『ライ麦畑でつかまえて』が、村上春樹の新しい訳を得て、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』として生まれ変わりました。ホールデン・コールフィールドが永遠に16歳でありつづけるのと同じように、この小説はあなたの中に、いつまでも留まることでしょう。雪が降るように、風がそよぐように、川が流れるように、ホールデン・コールフィールドは魂のひとつのありかとなって、時代を超え、世代を超え、この世界に存在しているのです。さあ、ホールデンの声に(もう一度)耳を澄ませてください。』

引用元:白水社

感想

青春文学
物語の語り手、主人公は17歳の少年ホールデン・コールフィールド。病院での療養中の彼が、高校を退学になったという状況から始まり実家に帰るまでの過去の数日間について語るという形式で描かれます。ホールデン・コールフィールドの個性がこの作品の最大の魅力であり問題点で、彼の視点をどう受け取るかというのがこの作品を読む上でのポイントになるかと思います。

アメリカでは禁書?
キャッチャー・イン・ザ・ライ(ライ麦畑で捕まえて)について調べるとアメリカで禁書扱いされているとよく目にします。その理由としては、不適切な表現がたびたび出てくること(日本語訳だとそこまで刺激的な表現は見受けられません。)、ジョン・レノンの殺人犯、レーガン大統領の殺人未遂犯など重大事件の犯人が愛読していたこと、などがあるようです。

確かに読む人によって様々な形で受け取られてしまう内容ではあると感じます。道徳的にどうかな?という場面もありはしますが、私としてはそれはホールデンの思いを強烈に示しているこの作品の構成の一部なだけであり、その出来事自体に注目するのは本質的ではないと思っています。

ホールデンに共感できるか
起きている出来事を追うだけでも破天荒で面白くはありますが、それだけだと登場人物(特にホールデン)が何を考えているのかあまり理解が出来ず、また物語の起伏もあまりないので読み進めるのが難しく感じてしまうかもしれません。ただそこにはホールデンの一貫した価値観が表れています。それが物凄く刺さる人もいるし、全く理解不能な人もいると思います。その受け取り方の多様さが大きな魅力の一つだと私は思います。自分はホールデンに何を思うか、ぜひ読んで感じてみていただきたいです。

以下、内容に触れた感想を記載しますので、開く際はその点ご了承ください。

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感想(ネタバレ有り)

続きを読む ※ネタバレ注意

ホールデンには共感できる

ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。

俗物を嫌い、純真な子供から”大人”になることの違和感に苛まれる。それを強く示すホールデンには極端すぎるとは思うものの気持ちは分かるなと感じます。思ってもいないようなことを形だけの言葉にすることへの違和感なんかはよくわかります。そういう世間に苛立ちながらも、繋がりを求めてあちこちに電話かけたり出かけてしまうような矛盾を抱えた状態には、同じような経験はなくても共感はできます。

上記の台詞は大人になった今では難しいことだと頭では理解しつつも、心のどこかでは本当はそうありたいと思っていることを気付かせてくれるような純粋さを感じグッときました。

大人になるということ
終盤までホールデンのあれやこれやの脈絡のない行動を読み進めるのはなかなか根気のいるものでしたが、アントリーニ先生との会話がそこまでのホールデンのすべてを示していて、また大人になるということを端的に表現されているように感じてとても印象的でした。ホールデンを通じて「大人になるということ」を考えさせられる作品なんだと私は思いました。

『学校教育を受けることで自分の知力のサイズを知り、自分という人間の正しい寸法を知り、知力にふさわしい衣をまとうことができるようになる』という話は良い伝え方だなと感心しました。その会話の最中もホールデンの頭の中は混沌としていて先生の話をまとも受け止められていないというところも微妙な時期を表しているようで微笑ましくも感じました。

そういう一連の状況は、人がその人生のある時期において何かを探し求めているにもかかわらず、まわりの環境が彼にそれを提供することができないという場合にもたらされる。あるいは、まわりの環境は自分にそれを提供することができないと本人が考えたような場合にね。それで人は探し求めることをやめてしまう。つまり、実際に探索を始める前に、あきらめて放り出しちゃうんだ。
『未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ』
なかんずく君は発見することになるだろう。人間のなす様々な行為を目にして混乱し、怯え、あるいは吐き気さえもよおしたのは、君一人ではないんだということをね。そういう思いを味わったのは、なにも君だけじゃないんだ。

他の読者の感想

こちらをご覧ください。
※ネタバレ感想も含まれますので見る際はご注意ください。

読書メーター/キャッチャー・イン・ザ・ライ

まとめ

以上、J.D.サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の読書感想でした。
未読の方は是非手に取ってみてください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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