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沈黙/遠藤周作 -感想- 信じることの意味を問う。神は存在するのか。信仰とは。

読書感想です。今回は遠藤周作さんの「沈黙」です。
記事前半はネタバレは含みません。「続きを読む」を押さない限りネタバレ内容は見えませんので未読の方も安心してお読みください。

作品情報

  • 作品名:沈黙
  • 作者 :遠藤周作
  • 出版社:講談社(講談社文庫)
  • 頁数 :320P

こんな人におすすめ

 
こよい
  • 重厚なテーマを持つ小説を読みたい
  • 宗教、信仰の考え方に触れてみたい
  • 海外で映画化されるなど、世界的に評価されている小説を読みたい
 

特徴グラフ

※私個人の見方・感想です。

話の明るさ
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読み応え
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過激表現
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あらすじ

『島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制の厳しい日本に潜入したポルトガル人司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける長編。』

引用元:新潮社

感想

鎖国時日本のキリシタン弾圧
日本のキリシタン弾圧を舞台に、信仰と苦悩の深淵を描いた作品です。主人公であるロドリゴ司祭は、日本に渡り、過酷な状況下で信仰を貫こうとしますが、信仰に対する試練を受けます。

信仰とは
最も印象的だったのは、ロドリゴの葛藤と日本の人々の視点です。信仰とは絶対的なものなのか、それとも人間の経験によって変わりうるものなのかを考えさせられます。神の存在をどのように感じ、どのように信じるのかというテーマは、普遍的な問いかけを含んでいます。

単なる宗教小説を超えて、人間の弱さや愛、許しを探求する作品です。信仰と苦悩が交錯する中で、信じることの意味を問い直し、新たな視点を与えてくれるように思います。

救いがない
追いつめられることによる心の変化を突き詰めるように描かれており、展開としても救いがなく、読者としても精神を削られるような思いを受けます。その極限の状況で自分が何を思うかということを考えることに価値があるように思います。

読みにくい部分あり
舞台が1600年代であることや、この作品が出版されてから時間がたっていることのよるものと思いますが、癖のある言葉で読みにくい部分があります。またキリスト教の用語も多く出てきます。テーマの重たさと相まって、気軽に読める小説ではないかもしれません。じっくり向き合う余裕があるときに読むことをおすすめします。

以下、内容に触れた感想を記載しますので、開く際はその点ご了承ください。

ここで一呼吸…
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感想(ネタバレ有り)

続きを読む ※ネタバレ注意

ロドリゴの頑なさは
何があっても頑なに信仰を貫くという姿勢の司祭は滑稽に見えました。それはやはり私が日本人で、神の存在に対して曖昧な認識しかないためかと思います。司祭自身も仮に神が存在しないとしたらこれらの行動はなんと滑稽かと苦悩するような場面がありましたが、まさにそういった見え方になってしまいます。

最終的に転ぶことになった場面は、辛くもありながら、ほっとした気持ちにもなり、やはり司祭と自分は相容れていないという感情がずしりと残った印象でした。

「沈黙」の意味
終盤まではどんなに過酷な状況に陥ったとしても、救いの手を述べずに”沈黙する神”の存在をどのように感じるかということがテーマなのかなと思いましたが、結末からするとそれだけではないようです。

※実際、遠藤周作さん自身が、この小説のタイトルがそう誤解を招くと懸念されて、別のタイトルを検討されていたりしたそうです。

ただ、それが含まれていないということでもなく、「沈黙」には色々な意味が含まれているように私は解釈しました。

神は沈黙しておらず、常に痛みを共にしている。声を聞いている。許している。

人間としての尊厳を貫くための”人間の沈黙”。

切支丹屋敷役人日記について
これは詳しく読むことは私には不可能でしたが、その後の話が描かれていることはわかります。なんとなく斜め読みでキチジローが何らかの形でロドリゴと関わっている、ロドリゴは日本でそのまま64歳で病死した、くらいのことはわかります。エピローグですね。

少し調べてみると、ロドリゴはキチジローを中間として連れていたと記されているそうです。中間〔ちゅうげん〕とは諸々の雑務に従事する人のことです。物語の中でキリストとユダのような立ち位置だった2人のその後がそのような関係であるというのは、ロドリゴのキリストとユダに対する解釈の行方を表しているようにも思えます。シンプルに考えれば教えに従い”許した”ということでしょうか。踏み絵によって表面上は棄教とされても、信仰は形を変えただけなのかもしれません。

全体の構成として、ロドリゴの書簡として主人公の主観や、書簡が残せなくなってからの部分は客観が織り交ぜられたりなど特徴的でした。ただ物語の視点が変わるというだけでなく、そこにある信仰や人間の性質を司祭側から、または日本側からと角度を変えながら見る助けになっているように思いました。

そしてあの人は沈黙していたのではなかった。たとえあの人は沈黙していたとしても、私の今日までの人生があの人について語っていた。

他の読者の感想

こちらをご覧ください。
※ネタバレ感想も含まれますので見る際はご注意ください。

読書メーター/沈黙

まとめ

以上、遠藤周作さんの「沈黙」の読書感想でした。
未読の方は是非手に取ってみてください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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